November 27 Monday 2017

己の人生を生きる 2

こんにちは。今日は前回の続きとして、私がドイツへ来てから行ってきたメンタル改革についてお話ししていこうと思います。

そもそも私にはアメリカでプレーしている頃から疑問に思っていたことといいますか、不安に思っていたことがありました。私はもともとPKが大の苦手だったり、自分に自信を持てないことが多く、特に高校に入学して守備的ポジションにコンバートされてからは成功、失敗という結果にとらわれるようになり、前回の投稿でもお話ししたように、せっかく掴んだW杯というビッグチャンスも出場時間をほとんど得ることなく終えてしまいました。それがアメリカへ渡ってからは、そういったメンタル的なことが改善され、プレースタイルという面でもいまではセンターバックだったことを誰も信じてくれないほどに印象を変えることができました。故に、それらを可能にしてくれたアメリカでの生活、特にButlerでの時間というものは私にとって非常に特別なものとなっています。しかし、それでも私のなかには”今の状況はアメリカやButlerという環境にいるからこそなのではないか?日本と同じような環境に戻ればまた元も自分に戻ってピッチの上で萎縮してしまうのではないか?”という懸念が常に頭のなかにありました。そしてその疑問がまさに現実となって私の目の前に現れたのが今回の私のドイツでの不調でした。”常に強気でプレーしていた自分にはどうすれば戻れる?自分はどうやってプレーしていた?”毎日自問自答を繰り返し、今年は膝の怪我や卒業のタイミングの都合でかなり不規則な形でサッカーをしていたことから本当にサッカーのやり方を忘れてしまったのではないかとまで疑い、アメリカのコーチに頼んで送ってもらった私のゲームテープを何度も見直しました。しかし、これらのことは結局すべて、私が認めたくない現実から目をそらすための口実に過ぎなかったのです。

先にも述べたように、そもそも私のメンタルの弱さというものはずっと昔から自分自身で認めていたものでありながら、そこに直接向かい合って叩き上げるよりも、虚勢を張って常に自信があるかのように振る舞うことを選んできました。それでもやれてしまう人はいるのでしょうが、少なくとも私はそのようなタイプではないようで、結果として要所要所で自分の首を絞めてきました。今回の不調でも”いまは私の方法を忘れてしまっているだけだから、それさえ戻ればまた元のようにやれる”または”そもそも自分の選手としての特徴を理解してくれないコーチ陣に問題がある”と、心の奥ではメンタルを叩き直す必要性に気づいておきながら、それと向き合うための勇気を持てず、なかなか本当の解決への一歩を踏み出せずにいました。その一歩を踏み出すということは”自分の弱さを認める”ということで、自他共に認めるプライドの高さを持つ私にはなかなか難しいことだったのです。笑 ドイツに来てからもそのプライドが邪魔をして、なかなかメンタル改革に乗り出そうとはならなかったのですが、そんなある日、きっかけはわかりませんが、いまの自分が考えてることはまさに負け犬の遠吠えであり、またそこまでこだわり続けてきたプライドですらも”小物っぽい!ださっ!”と強く思うようになりました。2020 Olympicへの思いか、チームで干されている状況をうけてか。きっかけはあったのか、そもそもなかったのか。それすらも覚えてはいませんが、そう思うようになってからの私の行動はとても速かったです。まず頭のなかでメンタルに関して詳しそうな知人がいなかったか記憶を辿り、ある一人の知人にたどり着きました。彼とは2014年にアメリカで数回ほど一緒にサッカーをしただけで、その後頻繁にやりとりをしていたわけではないのですが、一緒にボールを蹴っていたときに”ビジネスにおけるマインドセットなどはスポーツにも共通するものがあるというようなことを言っていて、それが私の脳内Googleに引っかかったのです。笑 Facebookで繋がっていたのですぐにメッセージを送り、直接やりとりをするのは3年ぶりだったにも関わらず、知人からもすぐに返事を得ることができました。そしてそれをきっかけに私のパフォーマンスはどんどんよくなっていくことになります。

まず知人は日本で知り合ったという彼の友人を紹介してくれました。その友人も過去に私と同じような問題を抱え、それを乗り越えてきたことで、今回その人からもよいアドバイスを得ることができるだろうと考えたからです。紹介してもらってすぐにその人へもメッセージを送りました。そしてありがたいことにその友人の方も親身になって私の話を聞いてくださり、その上で自身の経験をもとに私へアドバイスをくれました。そのなかで特に印象として残っているのが、”成功”に捉われるくらいなら”成長”に捉われようというものでした。アドバイスをもらってから気づいたのですが、実はこれは私が自主練をするときに自然と行っていたマインドセットであり、アメリカにいるときにオーバーワークになるほど自主練にのめり込んだ理由でもあります。どういうことか説明していきます。私はButlerで初めてのシーズンを終えた頃にFKの練習を始めましたが、新しい技術を練習する際は毎回必ず同じ手順を踏んでいきます。まず最初は有名な選手のフォームを試してみるなかでどれが自分に合いそうかについて考え、そこからフォームをコピーすることに集中していきます。そしてある程度形になってきたところで、自分のやりやすい方法にするためにすこしづつ手を加えていくのですが、実はこのパートが私にとって一番楽しいパートでもあります。運良く始めから簡単にできてしまうこともたまにあるのですが、だいたいは失敗ばかりの日から始まり、それがしばらく続くことになります。しかし、だからといって諦めてしまうことにはならず、”いまはこれをやってだめだったけど、次ここをこう変えてみたらうまくいくかも?”と逆に希望が湧いてきます。そして成功する姿を思い描いては胸の高鳴りを抑えることができず、もう一回、もう一回と、気づけば2時間ほどFKを蹴り続けていたこともあります。まあそのことがコーチにばれて、やりすぎないようにしばらく自主練禁止令をだされたりもしましたが、それもいまではよい思い出です。笑

では自主練で自然とできていたことがなぜチーム練習になるとできなくなるのか?前回の投稿でもふれたように、これは”他人の目を気にすること”が原因であると考えます。苦手なポジション、膝が完治する前に復帰せざるを得なかったことからの不安など、きっかけは確かにあったかもしれませんが、結局はミスしたときに怒鳴られることを恐れ、ミスをすることそのものを恐れるようになってしまっていたのです。そしてその局面を救ってくれたのが、最初の知人が読むように勧めてくれたアドラー心理学の”嫌われる勇気”でした。簡単にいうと、どれだけ他人の目を気にしたところでその人の考えはコントロールできないのだから、そんな暇があったら自分にできることに集中しようということです。哲人と青年が交わす会話に引き込まれていく形で、オフを使って一気に読み上げたのですが、そのなかでも心に強く突き刺さった部分があります。哲人は『他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります』と述べた上で、それは『承認されることを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。つまり、ほんとうの自分を捨てて、他者の人生を生きることになる。』と説明しています。* これにはまさに雷にうたれたような感覚を覚えました。他人になんと言われようが自分の信じた道を進むと生きてきていたつもりで、細かいところではそれがまったくできていなかったことに気付かされたからです。私にとってサッカー選手として一番嫌なことは、コーチやチームメイトから怒鳴られることではなく、またはミスをすることでもなく、”自分らしくなくなること、自分を殺してつまらない選手になること”であったにも関わらずです。ではそこまで成り下がってしまったいま、他に一体何を恐れるというのか?自分のために、自分らしくチャレンジして、ミスも重ねるだろうけどそれをバネにもっと成長する。”他者の人生ではなく、己の人生を生きるため”に。そう気持ちを切り替えていきました。

いまはまだ試合もでれていませんし、そういう面では本当にこの課題を乗り越えたとはいえないのかもしれません。ただ、ここ最近では特にパフォーマンスを上げてこれていて、トレーニングでも徐々にチームでも目立つプレーができるようまでに戻ってこれている感覚はあります。そしてなにより怒鳴られようがなにをされようが、冷静にプレーを判断して、次につなげるための思考回路が繋がってきたことで、またサッカーを楽しめるようになりました。一時期は私に”ボールを渡さないでくれ”とさえ願っていたのに、いまははやくサッカーをやりたい、試合にでたい気持ちでいっぱいです。本当はこの投稿をすること自体迷いました。近い関係の相手にならまだしも、誰が読んでいるかもわからないブログで自分の弱みをさらすようなことはあまりしたくなかったからです。しかし、今回は(というよりはいつもの如く笑)私は運良く周りに救われましたが、これは誰にとってもの当たり前ではないでしょうし、また困っているからといってすぐには周りを頼れず、一人で抱え込んでします人も大勢いることでしょう。今回の投稿が少しでもそういう人たちのにとっての勇気となり、また変わるための一歩を踏み出す手助けとなれば嬉しいです。そのためにも私はここから出場時間を得て、結果をだしていかなければなりません。

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*出典元
岸見一郎、古賀史健、「嫌われる勇気」、ダイヤモンド社、2013年12月16日、309ページ(ご覧になる機種により、表示ページが異なる可能性があります。)

Published on Nov. 27, 2017 by Serina Kashimoto #53