March 25 Sunday 2018

当たり前はみんなにとっても当たり前?

前回の投稿の最後に私が大事にしているルールとして”郷に入っては郷に従う”と”周りに流されない”という2つのルールを紹介しました。今日は1つ目のルールである”郷に入っては郷に従う”に関して説明していこうと思います。意味を知っている人がほとんどかと思いますが、一応説明すると新しい土地や環境で生活を始める際、そこにはそこ特有の習慣などがあり、それに従って生活することが賢い生き方だというような意味です。同じ日本人でも家庭によってはそれぞれ独自のルールがあるように、その違いは国が変わればさらに大きくなるものです。そしてなにかを学ぼうとするには実際にその事柄を身をもって経験することが一番です。では実際にはなにを順応していかなければならなかったのでしょうか?

私がアメリカに行った時、あまりに多くのことが日本とは違い、最初はかなり戸惑ったものです。まずは言葉がちがう。英語を学べば学ぶほど表現豊かな日本語の美しさを再認識し誇りに思うこともありますが、残念ながら日本語が話せるということは海外ではあまり役に立ちません。”コミュニケーションは心さえあればなんとかなる!”と、確かに喋れなくても伝えようとする気持ちを持つことは大切ですし、私も英語が話せなかったときはジェスチャーや単語を並べて必死にコミュニケーションを図っていましたが、現実問題話せると話せないでは待遇が変わってきます。なので、その土地の言葉を話せるようになるということはとても重要なことです。ここに関しては私が感じた英語を学ぶ重要性についての投稿で詳しく書く予定です!

また文化に関しても日本とアメリカではだいぶ異なります。例えば日本ではなにかをして欲しい側が尋ねるよりも逆に空気を察してほしいという傾向がありますが、対してなにか頼みごとがあるならちゃんと言葉にして伝えるのが当たり前で、いってくれなきゃ分からないというのがアメリカです。他にもサービス精神の塊の日本では当たり前でもアメリカでは当たり前でないことなんて数え切れないほどあります。こういったこと1つ1つに関しても”日本ではこうだから”と海外に来てまで日本での当たり前を基準にいつまでも生活しているようではなにも変わりません。違いに関して”違いがあって当たり前”くらいの気持ちで生活できるくらいでなければ、まず海外ではやっていけませんし、自分の学びの可能性の芽も自ら摘み取ってしまうことでしょう。

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しかし、だからと言って海外の悪いところまで自分のものさしの一部としてしまうのは大きな間違いです。なにが言いたいかというと、海外のよい部分をみることで日本の嫌なところが見えてくるもので、逆もまた然り。だったら、自分が実際に経験してみてよいと思ったことを日本だとか海外とか関係なく、自分の基準として取り込んでしまう。それこそが日本と海外での生活のなかで得ることができる大きな成長に繋がる重要なピースとなるはずです。そのためにも自分の日常とはまったく違う環境に飛び込み、そこでのルールで生活することはとても大切なことですし、自分にとっての当たり前が他の人にとっては違うこともあるということを知ることは大きな一歩なのではないでしょうか。

Published on Mar. 25, 2018 by Serina Kashimoto #61