チームでのプロ契約ではなく、自分で動いてプロ、またはそれに近い環境を整えることにチャレンジしてみたい。大学在学時にスポーツマーケティングにハマり、ブログなどを読み漁っているときにふと思い立ったこと。アメリカ、ドイツを経て、2020を目前にして帰国を選んだ理由の一つにもなりました。
チームメイトたちの話を聞いた後はもちろん、元々職について社会にでることに反対というわけではありません。むしろ閉鎖的な世界で過ごしていくより様々な経験を積むことで人間性の部分では大きなプラスになると思います。しかし、海外で違う文化に触れることで日本にもプロリーグがほしいという思いは強くなり、またそこに向かっていくなにかにチャレンジしたいという気持ちも芽生えました。ドイツでチャレンジしたクラウドファンディングはそのうちの一つです。
プロジェクトを始める前はやめておいたほうがよいとも言われたりしましたが、別に失敗したところで死ぬわけではないし、届く人には届くという思いで挑戦を決めました。他の人のプロジェクトやブログに片っ端から目を通し、営業をしている友人に文章の添削もお願いして挑んだ初めてのプロジェクト。結果としては予想を上回る金額が集まり、成功となりました。その結果もたくさんの人たちの善意に救われただけという印象ですが、やれそうなことはやっておいたぶん、うまくいったこと、もっとできたであろうことなど、いろいろと学ぶこともありました。
海外でチャレンジを続けたいというプロジェクトを成功させておいていまなぜ日本にいるのか?という疑問を抱いている方もいるかと思います。プロオファーもなかったわけではありませんが、サッカー面で納得できるものもなく、周りの話などを聞くうちに無理にこだわるより2020を目前にした日本でどれだけできるのかに挑戦したい気持ちが強くなっていきました。それに関してクラウドファンディングの支援者の方々から背中を押す言葉をいただけたことは本当に心強く、そこからは知人を通して練習参加のセッティングをしてもらい、いまではみなさんご存知の通りマイナビベガルタ仙台レディースにお世話になっています。
そして先日、ようやくLiprondさんとのマネジメント/所属契約の発表に至ったわけですが、実はここもクラウドファンディングが縁で繋がったものでした。まだまだスタートラインにたてただけですが、それでもここまでの道のりも簡単なものではなく、様々な人との触れ合いのなかで、また様々な感情を抱えながら進んできました。一時はまったく先が見えない状況となりいろいろな可能性も覚悟しましたが、最終的にはこのような形で収まることができ、ここまで尽力してくださった方々には感謝の気持ちしかありません。
祖母に連れられてボールを蹴りはじめたことから始まり、まさかこのような形でプレーすることになろうとは想像もしていませんでした。今回の投稿だけでも”どれだけ他力本願なのだろう”と自分でも苦笑いせざるを得ない人生ですが、周りの存在が増えていくとともに私の夢や目標を自分のことのように応援してくれる人たちも増え、その分の責任ももちろん大きくなりますが、とても生きがいのある時間を過ごさせてもらえていると感じています。一生に一度の自分の人生。心踊るほうに進んでいきたいと思う一方で、進み続けるエネルギーとなってくれている周りにも還元していきたい。だからやっぱり私は私らしく、その上で周りとともに成長していけるような道を選んでいければと思います。