August 26 Tuesday 2014

はじめまして。

はじめまして、樫本芹菜(かしもと せりな)です。私は現在アメリカ、インディアナ州のバトラー大学でサッカーをしています。私のことはCareerのページをみてもらえれば大体のことを知ってもらえると思うので、今日は私がなぜアメリカへ来たのかについてお話したいと思います。

サッカーをしている祖母と父の影響で私がサッカーを始めてからは、プロサッカー選手になることを目標としてプレーし続けてきました。そのため、なにかを決めるときはプロサッカー選手になるために、サッカーがうまくなるためを第一に考えて決断をしてきました。年代別代表としてプレーしていた高校時代と渡米してからの実績を比べ(渡米後に代表としてプレーしたのは1回だけ)、周囲の人からは樫本は勉強のために渡米したとか、サッカー選手として上にいくことはもう目指していないようなことを言われてます。確かに英語を勉強したかったというのもありますが、私がアメリカ留学を決めたのは単なる語学勉強のためではなく、あくまでよりよいサッカー選手になるためにと考えた結果です。ではなぜアメリカ行きがよりよいサッカー選手になることにつながると思ったのか、それは私の高校時代に理由があります。

幸運なことに私は高校時代に年代別代表としてプレーさせてもらっていました。その際、様々な国のチームと試合をする機会があり、そのなかで感じた日本と海外との一番の違いは球際のあたりの強さでした。日本人の技術は世界でもトップクラスですが、ボールに対するアプローチは世界の方が強いと感じ、また、これは海外でないと経験できないと思いました。プロサッカー選手になるということはもちろんですが、その他にも日本の代表としてW杯やオリンピックにでて、日本の優勝に貢献することも目標のひとつです。年代別代表としての経験を通して、世界の舞台で外人を相手に勝ちたいのにどうして日本で日本人を相手にサッカーをしてるんだろうという思いが強まり、海外でサッカーをしたい、そう考えるようになりました。そして、海外でプレーしたいという私の願いを叶えてくれたのが、現在うちの大学でゴールキーパーコーチをしていて、私の高校のコーチの知人でもあるエリースでした。彼女がバトラーの監督に私のことを伝えてくれて、英語のテストにパスさえすれば、奨学金をもらいながらバトラーでサッカーができることに決まりました。

文武両道がモットーであるバトラーに合格できるほどのスコアをとることは本当に大変で、結局1年以上を勉強に費やすことになりましたが、家族をはじめ、本当にたくさんの方々のサポートのおかげで、今は無事にバトラーでの2年目のシーズンを迎えています。あたりの強いアメリカでのサッカーはとても激しく、試合後は体中があざだらけですが、それだけ厳しい環境でサッカーできる今はとても充実しています。

ということで、今日は私がなぜアメリカへ来たのかについてお話ししました。水曜から学校が始まるため、あまり頻繁には更新できないと思いますが、頑張ってブログを更新していくので、これからよろしくお願いします!

Published on Aug. 26, 2014 by Serina Kashimoto #2