こんにちは、今日はルール2つ目”周りに流されない”についてです。これはどんな状況であろうと大切なことには変わりないのですが、海外にでて心細い経験や大変な思いを続けてメンタルが弱ってしまっているときこそ、周りに流されてしまいがちです。例えばよくある例としては、せっかく海外に来たのに現地で知り合った、もしくは一緒に留学している日本人とばかり行動を共にすることです。別に一切日本人との接触を断つべきだと言っているわけではありません。現に私も現地で多くの日本人の方と知り合い、支えてもらっています。しかし、だからといって四六時中その人たちと一緒にいて、ずっと現地の言葉や習慣を習う必要のないような生活を送るようでは海外に来る意味がありません。
私の場合はButlerにそもそも日本人がほぼゼロな環境だったのでButler滞在時はこの問題はあまり関係ありませんでしたが、Indiana Universityで英語のプログラムをとっていたときは周りにすぐ身近に同世代の日本人が複数人いました。そのため日本人とずっと一緒にいようと思えば簡単にできましたし、実際遊びに誘ってもらうことも少なくはありませんでした。幸いなことに私は大学のクラブや公園でやるピックアップゲーム(決まった曜日に公園に人が集まってきてサッカーをする)の参加などがあったため、自然と日本人以外の友達も増えていきましたが、サッカーがなければ自分がなんのためにアメリカに来たのかも忘れてずっと日本人と一緒に過ごしていたかもしれません。
ここまで読んできて目的があって海外まできているのに、わざわざ日本人とつるむようなことをするわけがないと思っている人もいるかと思います。しかし、海外で生活するというこよは想像以上に大変なことです。思ったことを満足に伝えることのできないもどかしさや、簡単なタスクですら人に助けを求めなければならないときの悔しさなど、様々な感情があっという間に心をいっぱいにすることでしょう。そんなとき、同じ言語を話し自分のこともより理解してくれるであろう存在が身近にいるとなればその人に依存してしまうのも無理はないことだと思います。ですが、そんなときこそ依存ではなく心の支え程度にとどめておき、積極的に現地の人たちと交流してこそ意義があるものとなります。
学校にいれば自然と友達も増えていくことでしょうが、ピックアップゲームの参加もおすすめします。参加者はこぞってサッカー好きですし、言葉が堪能でなくてもボールが代わりに話しをしてくれるので、打ち解けるのにもあまり時間はかからないと思います。私の場合、夏休みホームレスになりかけたときに家に泊めてもらったり、ホリデーイベントに招待してもらったりなど、ピックアップで知り合った人たちには本当によくしてもらい、今でもメッセージのやり取りなどで交流を続けています。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます!最後に矛盾したことをいうようですが、海外で生活しようとも日本人であることへの誇りは持ち続けることは大切だと思いますし、”日本って思ったほど世界に誇れることばかりではない”と必要以上に卑下する必要もありません。ですが、日本が日本であること、日本人であることにこだわりすぎる傾向があることもまた確かです。日本はその独特な背景ゆえに国外を知ることなくそのまま生涯を終える人も少なくはないでしょう。そのため物事を美化しがちで、変わることの必要性を見逃しがちです。今やスイーツですらハイブリッドを求める時代に、当の私たちが昔と変わらない”日本(人)らしさ”を求め続けるだけで世界で結果は残せるのでしょうか?私はそれでは無理だと思いますし、日本人のよいところは残しつつ外から学べることは柔軟にどんどん吸収していくことで”新しい日本らしさ”を作り上げていくことが必要だと考えます。そして、それこそが私にとっての海外で挑戦を続ける理由です。