August 05 Monday 2019

言語化することの意味

“自分のことを客観的に捉えることはとても難しいけど、言語化はほんとに有効なツール”

これは私が先日ツイートした内容の一部。この言語化というのはつまり自分の考えをきちんと文字や言葉に起こすことを指すが、最近はこの言語化というプロセスをとても重要視している。なぜなら、言語化できるということはその考えをきちんとそしゃくして自分の一部にできたという証であるからだ。私にとっての言語化のプロセスは二通りある。一つはなにかのきっかけで急に言語化できるようになるパターンと、もう一つは自分で少しずつでも地道に言葉に起こして行うものだ。

最初のパターンは主に誰かと話をしている最中に何気なく発せられた言葉がきっかけで、何かが一気に繋がっていき、急に言語化ができるようになる。感覚的には今までばらばらに集めてきた一つ一つの知識が一気に繋がり、一つのイメージとなるような。もしかしたらあまり共感してもらえるものではないかもしれないけど、こういう瞬間はめちゃくちゃ気持ちがよいし、すごくわくわくしてくる。だから、こういう会話ができる存在というのはとても貴重だし、本当に大事にしたいと思う。

二つ目のパターンにはひたすらノートとペンを使う。私は昔から文を考えるのが好きで、小学校の作文の授業なんかでも図書室で読んだ本の文体を真似してみたり、友だちと誰が一番長く書けるかと休み時間を潰し、先生に”紙がもったいないけやめい”と怒られるまで書き続けたりした。(笑) 今でもノートとペンはどこに行くにも持ち歩くようにしているし、たまに何気ない会話の途中でもおもむろにノートにメモを取り始めることがある。ノートの書き始めはいつも脈絡もなにもない。それが書いては読み直してを繰り返していくうちに不思議と急にイメージが見えてきたりする。それはこの作業を繰り返すことで自然と客観的に物事を捉えることができるようになるからだと思う。そしてこの客観的というのがとても重要で、自分を持つということは大切ではあるものの、主観100%は” 社会における成功” に関しては邪魔なものでしかない。このあたりに関しては以前の投稿(足りないもの)に繋がる内容だ。

言語化のメリットとしてはより明確なイメージを持つということが挙げられるが、それ故に”どのように”言語化するかで、例え同じ意図を持って発せられた言葉でも異なるイメージを与えることがある。例えばこれはある日のチームトレーニングでのこと。きっかけは忘れたが、その日の私はなぜか”みる”ことをやめて”ながめて”みようと決めてトレーニングに臨んだ。するとなぜかいつもよりひろく、全体的にピッチを視界に入れることができ、プレーもいつもよりリラックスしてできたように感じた。おもしろいのは、日本語と英語の表現の違いでも同じような効果があったりすることだ。言葉によって与えられるイメージ一つでプレーががらりと変わったりするので、コーチングなどの声かけも気にするようになったし、今日もなにか発見ないかなといろいろ試してみたりする。

今回のテーマ、”言語化”というのは難しいもので、この投稿を書く際も何回も書いては決してを繰り返した。ここまで書き上げた今もまだ何かが足りない気がしてならないが、残念ながらまだそれは私の中で繋がっていないよう。またいつかきちんと言語化できるよう、文字というツールを使って客観的にわくわくすることを考えながらノートと向き合っていこうと思う。

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Published on Aug. 05, 2019 by Serina Kashimoto #76