April 15 Wednesday 2020

英語を学んでよかったと思うこと

もともと英語が得意だったというわけではない。でも一人でアメリカへ行くだけの度胸はあったおかげで生活に困らないくらいの英語は身についた。行けば自然と話せるようになるなんてことは嘘っぱちで、勉強嫌いだった自分なりの努力もした。英語ができるようになってなにを学んだのか、なにが変わったのか。よかったことは?

明白なことからいうと、コミュニケーションをとれる人の幅が広がり、様々な言語の情報も英語でなら翻訳されているものも多い。だけど一番は、これは英語だけに限った話ではないと思うけど、その国の言語を取得するということは、その国の人独自の感覚や感情なども学べるというところだと思う。多国語を話せる人にはすぐ共感してもらえることだと思うけど、なるべくわかりやすく説明してみる。

例えば、先日母に簡単な翻訳を頼まれ、そのなかの”雪化粧”というものがあった。直訳できる英語はないし、訳すとすれば”coverd with snow”とか”a blanket of snow”といったところだけど、”雪化粧”ほど情緒を感じさせるものではないかなと。他にも日本語には四季を感じさせる言葉がたくさんあるし、それだけ日本人は四季の一つ一つを認識し、大事にしていいるのだと思う。

ここ数年ほど、夜の散歩がずっとマイブーム。公園に寝転がって深く澄んだ濃紺に散りばめられた星を眺めたり、昼間の色鮮やかな顔とはまた違う、少し控えめながらも力強さを感じさせる桜を見にいく。正直言うとアメリカへ渡るまでは、景色などをみて美しいと感じはしても、一瞬でも目にすればもう満足といった感じで、祖母にもよく”あんたはほんま花より団子じゃね”と言われていた。それが今のようになったのは、もちろん周りの影響であったり、単純に歳をとったというのもあるかもしれないが、一番は英語を学ぶことで情緒揺さぶる日本語の奥深さを認識できたことが大きいと感じている。

他に別の例を挙げると”うま味”という言葉。実は英語にはこの”うま味”にあたる単語が存在せず、心理学の授業で他の英単語に入り混じって”UMAMI”を発見したときは思わず吹き出しそうになった。日本ではお出汁など、ずっと昔から人々の生活と共にあったうま味だが、先生の話では海外にumamiの概念が入ってきたのはわりと最近のことらしい。(正確にいつぐらいまでは覚えていないが)日本にきたことがあるアメリカの友人たちは、こぞって日本の食べ物は美味しいと褒めてくれるが、基本味が4つだった人たちと5つの人がつくる物に差がでるのは当然のことなのだろうと納得した瞬間だった。

鶏が先か、卵が先かとはよくいったもので、きちんと理解できているから言語化できるのか、言語化できるから理解できるのかはわからない。だが、日本語に上記のような優位性が認められるように、他の言語にもそれぞれの優位性があると思う。例えば、スペイン語には骨盤の動きを感じるための言葉が様々あり、それゆえ動作もスムーズに行えると聞いたことがある。また日本ではただ単にボールとともに移動するだけだったドリブルが、スペインではコンドゥクシオン(運ぶドリブル)とレガテ(仕掛けるドリブル)として指導されてきた。それぞれの違いなどを明白に理解してプレーしていればそれだけ戦術理解度などにも差がでてくると思う。このように書いていると”言語化”というのは大切なことのようで、実は私が昨年から始めたオンライントレーニングもこの”言語化”をキーとして取り組むものである。始めはパソコンに向かって作業することがなぜパフォーマンスに繋がるのか理解できなかったが、それも今ならなんとなく理解できるように思う。

話が逸れてしまったが、結論として、言語を習得するというのはただ単にコミュニケーションがとれるようになることなど以上に、その言語が使われる土地ならではの感覚であったり、心だったりに触れることになる。だから、例えばMake Your Own Ball Dayでの活動なども取り入れられるところで英語を取り入れて、少しでも周りの人たちが英語に触れて学ぶきっかけをつくれればと思う。

Published on Apr. 15, 2020 by Serina Kashimoto #81