May 01 Friday 2020

Butlerのスポーツデザイン力

“スポーツデザイン”

スポーツによる人づくりで地方創生を図っている、高橋孝輔さんがつくった言葉で、云く、”スポーツが誰かに使われるためにデザインすること” らしい。(【NCAAではなく大学が凄い】アメリカの大学スポーツは超高度なスポーツデザインの集合体だった)言葉にしてみると、それはそうだって簡単に納得できるものなんだけど、これを読んでいろいろなものが腑に落ちたように感じる。やっぱり言語化できることって大切。

わたしは正直Butlerでの日々に必死すぎて周りのことはあまり知らなかった。恥ずかしい話、1年目なんて負けてシーズンが終了した瞬間もなんでシニアのみんなが泣いてるのか理解できず、終わったんだよって教えてもらって初めて号泣したくらい。だから、NCAAを語るなんてたいそれたことは言えないけど、Butlerで過ごして感じていたこと、今回高橋さんのnoteを読んで改めて感じたことを書いていきたい。

まずはじめに、私のアメリカのお母さんはStanford出身で、世代差はあれど、スポーツにしても学業にしても、両方においてのアメリカのトップレベルを知っている人だ。その彼女でさえも、Butlerは文武両道においてとても厳しく、レベルの高い学校だと言う。日本語が堪能な彼女からこの情報を初めて聞いたとき、選ぶ学校間違えたかなと本気で思ったくらいだ。実際、Butlerは優れた男子バスケットボールチームを有しており、2010年には地元で開催されたNCAA トーナメントにおいて全米2位に輝いた実績も持つ。そんなチームに所属するような選手たちだから、さぞかし競技に集中した生活を送っているのかと思えば、彼らこそが経済学部などでトップの成績を収めるような学生だったりする。わたしのチームメイトたちも、金曜、土曜とばかみたいにはしゃぎまくっていたかと思えば、日曜は一気にスイッチが切り替わって朝からずっと教科書と向き合っていた。そんな彼ら/彼女らが体現するStudent-Atheleteの姿はとてもかっこよかったし、素直に憧れた。

このStudent-Athleteだったり、”School comes first” (学校が最優先)ということは、洗脳レベルで常日頃から刷り込まれる。また勉強へのサポートも充実していて、授業カリキュラムなどを組み立てるためのアドバイザーに加えて、Student-Athleteのためだけのアカデミックアドバイザーがいたり、希望者へは家庭教師の手配や、勉強に集中できる場の提供(成績が基準に満たしていな人は強制参加)なども行われる。勉強への意識や取り組みを話せばきりがないので割愛するが、ButlerはNCAA D1スクール(米大学トップリーグに所属する学校)でありながら、周辺コミュニティの親御さんからは、Butlerでの教育をただで受けられるように若いうちからスポーツでの才能を伸ばすことに投資するということを聞いたりしていた。

Butlerは私学校ということもあり尚更かと思うが、アメリカの大学の授業費は本当に高く、卒業は長く続く学生ローン返済の始まりの瞬間でもある。実際にローンを返済しているのは若い世代だけに止まらず、高齢者層の多くもいまだに返済を続けているのが現状だ。それだけの学費がD1学校の特待生ともなれば、その一切が免除される。(もちろん免除の度合いもそれぞれあるが。)ありがたいことに私も特待生として全額を免除してもらっていたので、授業費はもちろん、教科書から衣食住のすべてをも払ってもらっていた。そんな背景から、Butlerでスポーツをやることは高い授業料への免罪符と考える人もいるようだ。Butlerでのスポーツデザインとは、学業サポートやそれによる学生アスリートの質の向上を実現することで高い教育へのアクセスを保証し、それによりD1スクール特有の充実した奨学金制度の価値を高めることでスポーツの需要を高めているのである。

説明しておくと、そんな免罪符的存在程度に甘んじるほど、単純にピッチ上でのブランドも低くはない。いまだに忘れられないエピソードとして、ある女の子と会話していたときの話。彼女は目をキラキラさせながら、彼女の夢が私たちみたいなD1アスリートになることで、ほかの多くの子ども達も同じ夢を持っていると教えてくれた。私にとってプロでもない学生アスリートが子ども達の夢にまでなり得るのかと衝撃で、そんなアメリカのスポーツ文化をとても羨ましくも思った。そしてこれは、学生スポーツというカテゴリーに属しながら、同時にプロ意識というものを持ち合わせていることで実現しているように思う。

Published on May. 01, 2020 by Serina Kashimoto #83