June 11 Thursday 2020

自主トレの歴史

小学生のころ、代表リレーの走者もやっていたくらいだったので”自分は足が速い”と勘違いしていた。たぶん小学校5年か、6年のころ、父は私に”お前は足が速いんじゃなくて、体力があるぶんスピードが落ちんけ抜かれんだけじゃ”と言われた。普通にショックだった。(笑)だけど、そこがコンプレックスに感じることがなかったのは、サッカーは用意ドンで一斉にスタートする競技ではなかったから、予測を誰よりも早くしてしまえば足の速さなんて関係なかったからだ。

しかし、そこも大きく覆されたのは高校の時。年代別代表として海外の選手を相手にしたとき、日本では通用していたプレーでも、純粋なパワーやスピードで圧倒される。当時、センターバックとしてプレーしており、スピードで振り切られると簡単にGKとの1vs1をつくられてしまう。足が遅いことをこわいと思うようになってしまったのだ。代表でプレーしたいならなんとかしないとやばい。サッカー雑誌を読み漁ったり、当時はまだ浜松大学に籍を置いていた杉本龍勇さんに手紙をだしたりもした。後から聞いた話、ちょうどエスパルスに移ったタイミングと重なっていたようで、手紙は杉本先生の元には届いてすらいなかったらしいが、この行動が数年後の奇跡に繋がる。

たまたま杉本先生がテレビ出演された動画をYouTubeで見つけたことをきっかけに手紙の一連を思い出し、Facebookに投稿したところ、知人が繋いでくれることに。まさかの個人セッションまでやっていただくことになり、前日は興奮して眠れず、当日もロボットみたいな動きを披露してしまった。(笑)それから年末の帰国のトレーニングまでは自主練を重ね、2年ほど続けたころから走っている最中に足が勝手に回転するような感覚を覚えるようになった。そこからは走るのが楽しくてしょうがなく、短距離選手ばりにひたすらスプリントをしていた記憶がある。

杉本先生から学んだこととして”地面からの反発をひろう”(足を地面におろして跳ね返ってくる力)ということを初めて意識するようにもなった。初めてのトレーニングから、年に一度の帰国のタイミングでトレーニングをみていただき、なんとなく先生に理論として話をされた内容が感覚的にもわかるようになっていった。そして昨年の年明け、ある陸上選手に走りを見てもらった際に言われた言葉、”反発は拾えてるけど、拾って伝える先がバラバラだから意味がない。” 拾うだけじゃだめなのか。衝撃だった。そこから3日間、杉本先生のトレーニングを重ねて基礎はあったので、細かい修正をしてもらうことで、パフォーマンスは劇的に変わった。

そこでまた少し感覚が変わったからか、自身のパフォーマンスに別の違和感を感じるようになった。アメリカへ渡ってから、チームの誰よりも筋トレに励み、食生活もかなり気を使って生活してきたおかげで筋力はある。スクワットのマックスで230ポンドくらいあげて、NYのスポーツセンターでムキムキの黒人のおじさんたちに拍手喝采を受けたこともあるくらい。(笑)しかし、それを活かせていない。車で例えると、よいエンジンを持っておきながら、ドライバーがその性能を殺しているような。例えばラダーのようなシンプルな動きでも、筋肉をかためて無理やり足を動かそうとするので、スムーズに動けないどころか、逆に遅くなっているようにも感じた。そんななか出会ったSunnyさんとのトレーニング。見よう見まねでもやってみたことがある方ならお判りいただけると思うが、メニューを一通り終える頃にはパフォーマンスがあがる。もちろんすぐにハマった。

しかし、私の場合は今まで経験したことのない筋肉系の怪我をするようになってしまった。少し大変な時期でもあったので、メンタルの部分もあったと思うが、頑張りすぎる癖にも原因があったと考える。実は真面目なところもあるので、サッカーを始めてからもずっと、フィジカルでも絶対に自分に負けない、常に全力を出し切ると歯を食いしばりながらやってきた。ぎちぎちに力を込めて必死でやればそれが頑張っていると勘違いしていた私が、アメリカでのトレーニングでさらに筋肉に無理をさせるスタイルが強調され、その癖を残したままSunnyさんのトレーニングで一気にパフォーマンスをあげてしまった。もともとSunnyさんにも力を抜くこと、その余力が想像力とか爆発力に繋がると言ってもらっていたけど、ずっとその真逆で生きてきた私にはその方法がわからなかった。

だから、コロナの影響を受けて自粛になってからはとにかく力を抜くということを考えた。朝の瞑想で呼吸を感じ、一つ一つのトレーニングも服を脱いで身体の一部一部の動きをきちんと確認しながら行う。きついメニューの最後の追い込みで顔が歪みそうなときもあえて表情にださないように心がけた。FC pSolsの基礎トレの一つであるポップも、今までのように力で跳ぶのではなく、跳ばずに跳ぶ。目を閉じて、着地の瞬間の足裏の感覚をしっかりと感じ、耳でうまく接地できているときの音を拾う。自粛生活終盤のころになるとかなり感覚も変わってきて、先日久しぶりにSunnyさんにポップの動画を送ったところ、原始人が成長したね、とお褒め(?)の言葉をいただいた。(笑)

チームでのトレーニングが再開し、いつも通り動いてみるともう違和感だらけ。Sunnyさんのトレーニングを続けていくと、ある日突然それまでは当たり前だった自身の動きに違和感を感じるようになり、同時に”あーこうやって動かすのか”と、感覚でわかるようになる瞬間がある。サッカーの技術的な動きの部分までは自粛中に落とし込めなかったので、まだまだ私のなかで繋がりきっていないが、いろいろ発見があって楽しい。ピッチ外でもいろいろ動き始めてわくわくするが、やっぱり自分はまだまだ現役をやめられない。

Published on Jun. 11, 2020 by Serina Kashimoto #90