October 09 Friday 2020

サッカー小僧を救ったアメリカ留学

先日、スポーツによる海外留学のサポート事業を展開されている企業様と話をする機会をいただいた。その際、同席してくださった代表の方が”女子アスリートは高校で燃え尽きてしまう割合がわりと高く、そのような子たちにとっての新たな道をつくってあげたい”というようなことを言われ、私もこの言葉に強く賛同。今ではチームメイトから”サッカー小僧”と形容されるような私だが、アメリカ留学を決めた理由の一つがサッカーをやめてしまう可能性への恐怖からだった。

きっかけは”あんたは県外行くんじゃろ?”という母の一言という何気ないものだったが、サッカーのための選択に相応しく、毎日ボールを追いかけることに明け暮れた3年間だった。朝5時前には起床し、お弁当を詰め、朝練に向かう。授業を終えた後、再びチーム練が始まり、自主練を終えて帰寮する頃には夜の8時を過ぎる。そこから洗濯、食事、入浴、を終える頃には10時をまわっていて、就寝後、あっという間に朝を迎える。グランドに人工芝をはるための工事中の朝練はひたすら走り込み、午後は自転車でボールを担いで山道を上がった先のグランドで練習。帰寮後に靴を脱ごうと座ったそのままで寝てしまっていたこともあった。(笑)

2年の冬の全国が終わったタイミングで部長を務めることになり、部員の授業態度や寮での生活などにも気をつけなければならなくなった。代表活動もあったため、現在はアスレジーナでプレーしている平野も一緒に部長の役割を担ってくれて、彼女の存在にはとても助けられたが、少しづつ余裕はなくなってしまっていたのだと思う。練習終わりに”なぜ自分はサッカーをしているのか”と自問することが増え、代表でも楽しむ気持ちより、キャプテンとしてとか、国を背負ってなど、勝手に自分で追い込んで、夢にまでみたワールドカップの舞台でも不完全燃焼に終わった。試合後にボトルを回収しながら悔しさが一気にこみ上げてきたこと、ホテルで涙が止まらなくなってしまって現地の警官が心配してハグしてくれたこと。”It’s ok, baby”と繰り返しながら頭をなで続けてくれた黒人のお姉さん警官に対し、”ベイビーじゃなーい”と号泣しながら訴え続けたエピソードは今だからこそ笑えるが、当時は笑えないどころか、帰国せずにトリニダード・トバゴに残りたいと思うくらいに悔しかったし、周りがみえていなかった。

そんなこんなで卒業後について考える時期となり、渡米するか、日本の大学に進学するか。渡米の道が一度閉じかけて、再び決断するのに時間を有することになったが、最終的に決断できたのは当時絶大な信頼をおいていた人からの後押しと、日本の大学に進学した場合を頭のなかでシミュレーションした際、サッカーをやっている姿が想像できなかったこと。それまで息をするようにサッカーをしてきた自分にとってそれはとても衝撃的だったし、心底まずいと感じた。渡辺コーチの尽力もあり、最終的にはButlerから正式な奨学金のオファーももらえ、わざわざアメリカからクリスマスカードが送られてきたときはとても嬉しかったことを今でも覚えている。

アメリカでも最初から最後までずっと苦労ゼロで過ごしたわけではないけど、スポーツを多角的に捉える視点や、異なる生活環境のなかで得た新たな価値観など、本当に多くのものを与えてくれた。”個”を伸ばすスタイルのサッカーは再び私に楽しむ気持ちを思い出させてくれて、大好きなはずのサッカーが辛くすらなりかけていたのが嘘のように夢中になってボールを蹴り、やり過ぎを懸念した監督がグランドに見回りにくるほどだった。それから今までの間、ずっといい時間が続いてきたわけではないが、周りの人たちの存在とともに、アメリカでの経験がとても大きな支えとなってくれた。

私がアメリカ留学で改めて見つけたのは選手としての生きがいやサッカーが好きだという気持ちだったけど、別にそこはなんだっていい。留学中に出会った先輩は、サッカーで奨学金をもらいながら、NYでデザインの勉強をしていた。チームに所属していれば英語が喋れなくてもコミュニケーションをとらざるを得ない状況が続くし、入学に関しても、”サッカーなしで普通に入学するより全然楽”とは彼女の談。もっと言えば、留学がすべてではないし、いろいろな可能性が存在するほうがサッカーの発展にも繋がると思う。

サッカーは自由だ。チームとして機能する為の最低限の約束事は存在しても、試合を色付けるのは誰もの予想のうえをいく想像力であったり、様々な状況に柔軟に対応できる思考力だったり。サッカーのあり方にしても、魅せる側として、サッカー選手というものが輝いているものであるように努力することは必要だが、サッカーに携わるすべての人の先が選手として上を目指すことである必要はない。友だちをつくりたいとか、選手を目指したいわけではないけど、とにかくボールを蹴るのが楽しいとか。パフォーマンスアップのためにと毎日飽きもせずぴょんぴょんし続けている私が言ってもあまり説得力はないのかもしれないけど、もっと柔軟で自由な捉え方が定着すればいいなと思うし、そのための受け口や可能性を探していきたい。

最後に、今回のテーマ的に高校でのきつかった思い出話ばかりとなってしまったが、そもそも順心でなければ渡米することなど考えもしなかっただろうし、選手としても人としても大切なことをたくさん教えてもらった。だから、自分の決断に後悔はまったくないし、直接伝える機会がなかなかないが、たくさん感謝しています。

Published on Oct. 09, 2020 by Serina Kashimoto #94